中央石油販売協同組合

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COC中央石油販売事業協同組合は、SS(ガソリンスタンド)事業者の団体として1990年12月に
中小企業庁の登録を得て発足しました。
現在、45社 約250ヶ所のSSが加入しています。元売や商社など供給者に過度に依存せず、仕入れ
調達、SSの開発、SS運営、財務、システムまで独自に自己完結する独立系石油業者の集団です。 
年に3回の総会、研修会を行い、併せて次世代経営者による「ネクストフロンティア会」が独自に数回の
勉強会、実施研究会を行っています。2002年に資源エネ庁の高度化事業補助金を得て、参加企業の
SS市場調査、SS運営力調査、経営財務調査を行い 2004年には独立経営者向けの「独立経営ガイド
ブック」を刊行しました。
経営規模は 1SS家族経営から、地域でまとまったシェアを持つ有力業者まで様々です。
共通するのは、SS経営に対するロマン覚悟を持っていることです。

設立までの前史、無印業者の連帯1990年以前

COCは当初 9社の無印SS業者によって設立されました。
無印SSは、第一次オイルショック後に急激に台頭しました。石油元売会社のブランドを掲げず、基本的に
燃料販売に徹して、安い業転玉を仕入れて現金販売する業態でした。物価高の時代に消費者に支持され
全国に多数出店しました。
無印は、1970年代半ばに京都で京人形装備品を扱っていた「佐わらび」の村田社長が立ち上げた
ものです。当時の社員主体、法人掛売り重視、重装備な設備と商品の一般SSに対して、家族経営
ローコスト、現金客重視と言うオーナードライバー向けのスタイルを開発したものです。
元売会社や既存業界は単なる、安売りと嘲笑しましたが 30数年を経て、現在の元売直営セルフSSが
行っていることは無印モデルの踏襲に他なりません。
無印SS経営者は、元売系列店からの転向者もいましたが、運送や農家など需要家による新規参入
あるいは脱サラ事業者も少なくありませんでした。既存業界の”縛り”が少ない方が多く、小売業の常識
で消費者を向いた商売をしていました。
一方、規制厳しい時代であり、官庁、元売、既存業界からは蛇蝎のごとく嫌われ、地域で悪宣伝や
嫌がらせを受け、タンクローリーが追跡されて供給元に厳しい圧力が加えられることも多々ありました。

1980年代に第二次オイルショックを大義名分に、日曜休業が法制化された時代があります。
憲法に抵触するため、法制化は行政指導に変更されましたが、日曜休業は拡大するオーナードライバー
に大変な不便をかけ、SSにとっても日曜売上の欠如は営業上重大な問題でした。
日曜に関係がなく、しかも使用量の大きな法人車両を野放しにしながら、オーナードライバー=現金客
のみに節約を強いるやり方は、明らかに現金販売の無印SS排除の一環と考えられました。
そこで誕生したのが「SS日曜休業反対の会」でした。無印業者のみならず元売系列SSも多数が参画
しました。SSの主力客はすでにオーナードライバーに変化しており、住宅地に展開するSSにとって日曜
休業は死活問題となっていたからです。
日曜休業の矛盾を説く評論家やアナリストを味方につけて、堂々と営業を行いました。
この会の中心が、無印の元祖・佐わらびの村田社長、神奈川県の新勢力ライオンズ石油の佐藤社長
そしてCOC創設者の愛知県の明智石油販売の山口武男社長でした。
この3人は、同時に大きな壁に挑戦しました。石油業法の強力な行政指導で元売すら自由に行えなかった
石油製品自主輸入への挑戦でした。英サッチャー、米レーガンによる規制緩和が国際的なうねりとなる
中で、国際世論に訴えて小売業者による製品輸入を実現しようとしたのです。
無印業者も成長段階に入り、ネットワークを維持する為に製品の安定供給が不可欠でした。しかし
国内に求める限り、常に供給妨害や供給カットに直面しました。輸入への動きは、小売業者が成長する
過程で必然的に発生したものでした。また、小売業者による輸入供給は、ユニクロに代表される製造小
売手法をはるかに先取りした動きでもありました。
しかし、当時の通産省は全力をあげて阻止に動き、大蔵省経由でメンバーの取引銀行に圧力を加える
など、狂気の弾圧を行いました。よって輸入は水際で実現せず、懐柔策の結果として佐わらびは表舞台
から消え、ライオンズ石油は元売系列業者となりました。  唯一、山口武男社長は一切妥協せず
独立経営を邁進します。山口社長は、改めて独自に製品輸入計画を提出し、通産省が受理しなかった
為に行政不作為行為として通産大臣を告訴します。
行政訴訟がきわめて珍しかった時代に、1SS経営者が国を相手に法廷闘争を展開しました。
最後は、最高裁まで上げて敗訴はしましたが、国会やメディアで大きく取り上げられました。
同時に山口社長は、日曜休業反対の会に集まった無印業者とSS経営の情報交換を目的に、勉強会を
催して、一匹狼として地域で孤立無援の無印業者に横の連帯を提言しました。
これがCOC発足につながります。

無印から独立系 1990年―1997年

COCは1990年に設立します。一部関東、北陸を含む、東海中京地域の9社が設立メンバーでした。
初代理事長には、山口社長が就任します。
事業共同組合としたのは、石油製品の共同購入を見込んでいたからです。様々な研究を行った結果
石油の共同購入は、勝者の切り崩しに遭って相互不信の原因になりかねない、むしろ個別業者が
販売力見合いに交渉した方が良しとなり実現はしませんでした。その代わりCOCでは各社の仕入れ価格
仕入れ方法などの情報交換が活発に行われ、共同購入以上の効果をもたらす事となりました。
また、SSで使用する機器や用品部品は、韓国やモンゴルまで出かけて商品を調達し、共同購入を成功
させています。
設立時に、無印SS経営者共通の怒りは、揮発油販売業法に規定されるガソリン分析制度でした。
様々な費用負担もさることながら、分析方法と分析機器能力に対する疑惑が根深くありました。
COCとして、徹底的に追求し分析センター、機器メーカーを問い詰めて確証を掴み、資源エネ庁及び分析
委託先の全国石油協会に激しい抗議行動を行いました。
これは、後に分析制度を変えるきっかけとなりました。また、山口理事長の行政訴訟も継続中だったこと
から、戦うCOCのイメージを業界内に与えました。
SS経営においては、規制緩和の影響で仕入れ妨害が少なくなります。同時に、系列SSの量販政策が
激しくなり、価格競争が激化します。元売系列の大型SSとカードシステムを組み合わせた販売促進活動
に対して、恵まれない立地と設備の無印SSが勝ち抜くために、SS経営、SSオペレーションがCOCの
主なテーマとなります。また、COCの顔ぶれも、元売系列で独自経営を行う企業が参集し始め、徐々に
会の規模が拡大し始めます。
COCは、無印を含めた独立系石油業者の組織に変貌します。

石油市場の変貌と成熟時代 1998年以降

1987年から、アクションプログラムが着実に行使された石油業界の規制緩和は、1996年3月末の石油
製品輸入自由化で大きな節目を迎えました。
元売会社は、商社や海外石油会社の輸入攻勢を恐れるあまり、自社シェアを確保すべく激しい価格競争を
もたらしました。同時に、バブル崩壊後の金融恐慌状態が到来し、銀行の貸し渋りが顕在化し元売も取引
条件の悪い系列業者への支援を打ち切りました。
COCの会員企業は、元売りや行政に頼らず生きてきたので、ローコスト体質であり、現金販売による
キャッシュフローも持ち合わせており、金融危機を生き抜けます。
1998年4月にセルフサービスが解禁されると、元売会社や既存大手販売会社が尻込みする中で、COC
の会員は、次々と この新しい業態にチャレンジし、そして先行者メリットを得ました。
また、1999年に東京工業品取引所で石油製品先物取引が始まると、これを「公設市場」と位置づけて
業転玉より安定確保できる、仕入れチャネルとしました。
しかし、2000年代に入ると、元売がセルフで直営SSを使った積極展開を始めます。先物市場でも投機
筋の参入や元売の買い介入があって、実務者にとっての利便性が後退します。
また、元売の政策転換によって、ウルトラ級の量販業者の台頭、新規参入、フリート業者の軽油からガソ
リンへの政策転換もあって、COC独立系業者の経営環境も厳しいものとなってきました。
さらに、SS全体の問題として、国内市場が成熟しガソリンも自動車も増えない状況に直面しています。
環境問題も重要な経営課題=リスクとなっています。
COCは、世界の趨勢から見ても必ず独立経営は生き残ると確信しています。
そのカギは、SSの規模や価格よりも、知恵にあると考えています。現在、第5代の 石橋幸四郎理事長を
中心に、国の制度改革に適応した経営の革新を目指しています。

                                        2007年10月  COC事務局より